2010年6月26日土曜日

やっぱり、体験談がいちばん!(実家編)



昨日は久しぶりに栃木の実家で家族が集まり、さらに
ゲストを招いてお食事会。このゲストというのが、
父親方の祖父の妹さん夫婦。




この会食の事の発端は、両親とのなにげない会話から。


この春に高齢になる叔父が他界し、葬儀やら法事やらで
普段は栃木や東京に点在している親や兄弟がなにかと集まる
機会があった。親族集まれば、おのずと身内トーク。


そこで、うち(山口家)は一体、どこからきたのか?
という話になった。父親の父親、つまり私の祖父は、
55歳のときに脳溢血で急死した。父親はそのとき
26歳、独身真っ盛り。だから、母も私たちも祖父のこと
はときおり話に聞くだけで、顔も写真でみただけ。


このときも父に祖父の話を聞いていたのだが、一体、
祖父はどんな人生を送ってきたのか?と尋ねると、
祖父の兄弟で唯一生きている妹さんなら、自分が知らない
こともよく知ってるはず。だったら、彼女がまだ元気な
うちに、一度はなしを聞いてみよう、ということで、
今回の食事会が実現したのだ。




場所は父親の生まれ育った田舎町にある趣のある食事処。
お墓のあるお寺に近いこともあり、法事のときにいつも
利用しているところ。


私が最後にきたのは大学のときだったから、15年以上
ぶり?




(食事処を入ってすぐの部屋。
若き日のみっちーの写真がなんともいえない時代感。)


建物は古くても、掃除が行き届き、塵ひとつない。床もぴかぴかに磨き
あげられている。古いものを大事に使うってええな〜。


父親は張り切って、古い写真やアルバムを持参してきていた。



セピア色に染まる写真のオンパレードで、私たちも見た事のない若き日の
祖父や祖母が映っていた。

食事が始まってすぐにトイレに席をたち、戻ってくると、祖父の妹さんが大泣き
していてびっくり。久しぶりに兄弟の写真をみて感極まったらしい。

ゲストのお二人とも80超えているのだが、昔のことは鮮明に覚えていて、
祖父や曾祖父の人柄が伝わるいろんな話をしてくれた。特に旦那さんのほうは
元警察官で、頭はかなりシャープ。話がとてもわかりやすい。
感情豊かな奥さんと絶妙なコントラストをかもしだしていた。




(息つく暇もなく、マシンガントークするゲスト夫婦。
手前の薄くなってきた頭は私の父。)


いったん、口火をきると思い出話もつきなく、ここには
書ききれないような話が盛りだくさん。


(会食の全容風景)


しかし、私にとって特に印象深かったのは、
妹さんの旦那さん(K氏)の戦争体験談だった。
ちょうど、祖父の出兵したときの写真がでてきたときに、
話題が「大東亜戦争」(とK氏は呼んでいた)に及んだ。


ふと、「Kさんも出兵したんですか?」と尋ねると、
終戦した時期はちょうど16歳で出兵せずに済んだ、
と教えてくれた。
しかし、その後の人生はなかなかハードだったらしい。


中学校を卒業した彼は、教師を目指したいと思い、師範学校
(当時の教養学部)の進学相談を先生にすると、
「いまどき先生なんて必要ない。いまは日本が国として
どうなるかの瀬戸際なんだ。もっと他にやれることを
探せ。」といわれ、神奈川にある軍関連の兵器研究所で
働く。そこで終戦を迎え、実家のある宇都宮に戻ると
大空襲で実家が跡形もなく燃え尽きていた。幸い、家族は
無事だったが、住むところを求め、知人のところに身を寄せた。
ほどなくして、自治体が戦災者を対象にした仮住宅を50戸
用意。高い倍率の抽選を運良く当て、そこに住み込んだ。
しばらくプラプラしていたが、ビーカーやフラスコで実験する
ような技能が生かせる職もなく、しばらくはガラスの溶接工の
仕事をしたが、つまらなくなってきた。そんな折、警察官
募集の張り紙をみかけ、申し込む。無事、面接に受かって
そのまま警察官としての人生を30年余過ごしてきた。




「戦争の混乱って、やっぱりすごかったですか?」


「すごいなんてもんじゃねぇ。ありゃぁ、悲惨だね。
 悲惨そのもの。俺は戦争の犠牲者だって思ってる。
 家はなくなるは、やりたい仕事はできないは、
 とんでもねぇ〜目にあったよ。戦争なんて、
 何にもいいことないね。」


彼が”戦争の犠牲者だ”と言ったときは、怒りからくる
震えがこもっていた。戦争を味わった人にしかわからない
苦労と悲しみは語り尽くせないものなのだろう。


当時の写真を見てみると、土ぼこりにまみれた道ばたで
子供をあやしていたり、掘建て小屋にたむろしていたり、
まるで中国の田舎で撮られたような様子だ。


いみじくも、その後、大阪万博らしき会場や、ハワイ
で海外旅行をしている祖母の姿を収めた写真がでてきた。
今の中国人が辿る姿をそのまま写真にしたかのようだ。


今、まさに中国が入ろうとしている高度成長期を超えた
先に生きるわたしたち日本人は、彼らに「この道を進めば
幸せになれるよ」と胸を張っていえるだろうか。




その後、K氏の警官時代の話になった。


今でもよく覚えてるのは、警察官になって最初に行った
殺人現場のこと。お寺の夫婦とそこを訪れていた
知人の3人が包丁でメッタ刺しされ、現場は血の海。


「ちょうど暑い時期でね〜。魚屋の匂いとおんなじ、
 それかもっとひどい。むっとくる血の匂いは吐きそう
 になったね。」


このときの犯人は、結局、近所に住む男性で、金目当ての
強盗だった。その頃の殺人事件の犯人といえば、友人知人
で貧困からくる強盗や、怨恨が主だったという。


そう考えると、ここ最近の事件は、ずいぶんと様相が
変わってきたように思えてきた。同じ栃木県の足利市で
最近起きたのは、ある女性が「離婚しており、幸せな家庭が
妬ましかった」と立て続けに赤ちゃんの足をひねり、
骨を折ってしまった。その数日後には、マツダ工場の元従業員
が無差別に人をはねる事件が報道されたばかり。


これらの事件をあげ、事件性というのものは時代とともに
ずいぶんと変わるものですね、と言うと、


「確かに信じられない事件がほんとに多いね。
 事件というのは、そのときどきの人の心を現すもん
 なんだろうね。今は、秋葉原の事件のように、
 自分勝手な理由で無差別に人を殺す。そんなんじゃ、
 気をつけようにもしようがない。道を歩いてて、
 上からコンクリートが落ちてくるようなもんだ。
 そう考えると、今のほうが行きづらい世の中に
 なってるのかもしれないね。」


とK氏。


彼らの昔話によれば、祖父の敷地内にK氏夫婦が
住み込んだり、祖母の兄弟が住んだり、必要に応じて
共同生活を楽しんだ時期もあったそうだ。


じゃがいもがなくなれば、隣からもらったり、御飯時に
顔をみれば、「今日はうちで食ってけ」と食事をともに
することもよくあったという。


いまでいうほどプライバシーはなかったかもしれないが、
ゆるやかな絆でお互いつながっていた当時の雰囲気が
伝わってくる。


一方、今の時代、隣に住んでる人がなにをしてる人がすっかり
わかりづらくなってきている。私もいまの東京のエリアに
住んで5年目だが、つい最近、隣人のおばあさんの葬儀で
2件隣の人に初めて会ったばかり。お互い「会わないもん
ですね〜」と感心したもんだが、感心事ではないな。
いや、お隣のお葬式の呼ばれるだけ、まし?
むーん、もうなにがだんだが。。(苦笑)




なんにしろ、確実なことは、昔は自然にあった周囲との
コミュニケーションも、いまは意識してつくっていかなければ、
先にあげた無差別殺人のような事件は延々と起こり続けていくのだろう。

彼らは、ただ誰かに話をきいてもらいたかっただけなのかもしれない。
秋葉原の彼だって、日々の思いを携帯サイトに綴っていた。




誰も自分のつらさをわかってくれない。
つらいのは自分だけ。
他はうまくやっている。
なんでつらいのは自分だけなんだ。
許せない!


そんな彼らの声が聞こえてくるようだ。


しかし、一見うまくいっているような人たちも、よくよく聞けば
いろんな苦労があったりするものなのだ。
K氏夫婦も、今で言う「誤診」のせいで1歳数ヶ月の赤ん坊を
なくした話を涙ながらに聞かせてくれた。生きていれば50歳を
超えているというから、半世紀以上も前のことなのに、昨日の
ことのように内容は鮮明であり、いまのように医療ミスで裁判
を起こすような時代でもなく、彼らの思いはただただ無念、の一言
につきるようだった。


明るく陽気なゲスト夫婦も、他からみれば、子供も自立し、
公務員の年金で安定した暮らしをした幸せな人たちに見えるのかも
しれない。しかし、よくよく話せばいろんな苦労を味わってきている。


それを自然に共有し、理解しあえるコミュニケーションの場を
社会のなかにつくっていかなければ、いつ自分や自分の家族、
友人知人が無差別的な事件の被害者になるか、あるいは加害者になるか、
わからない。このブログのようなバーチャルスペースでは、
限界があることを秋葉の彼が体現している。
結局、人は顔をつきあわしてなんぼなのか。


仮にいまの自分の環境がよくても、他に孤立している
人たちが存在し、それになんらかの対処をしない限り、根本的な
ことは解決されないと思う。


なんだかシリアストークになってしまったが、事はそんなに難しい
ことでもないのかも。ただ、イスをいくつかひっぱりだして、気軽に
井戸端会議ができればいんだけどな〜




(こんなふうに・笑)







やっぱり、体験談がいちばん!(タイ編)



どんな体験談がって?


なんでも!


・・と書くと、ずいぶんと抽象的な答えになってしまうが、つい最近、
立て続けにいろんな体験談を耳にして、いろいろ考えさせられた。


事の始まりは20年近い付き合いになる親友との長電話。
彼女は現在、ユニセフに勤める旦那の関係でタイの首都バンコクに4年
ちかく住んでいる。久しぶりに日本に帰国してきたので、実家のある
姫路から電話をかけてきてくれた。


数ヶ月ぶりの電話で、いつもどおりの近況アップデート。
その中で、今年の4〜5月にわたって日本でも繰り返し報道されていた
タイの暴動の話題になった。


彼女が住んでいるところは、日本でいえば虎ノ門のようなところ。
官公庁や政府関係者、大使館が多いエリアなのだ。
そのため、こうした暴動やデモの中心地になることは、彼女の話から
以前より知っていた。
数年前に厳戒態勢がしかれ、エアポートも封鎖されたときは、さすがに
心配になって電話してみるも、


「なんか赤シャツや黄色シャツの人がいっぱいおるよ。
 でも、みんな道ばたにイスやテレビ置いたりして、
 意外とのんびりしとるわ。うちらも全然、平気、平気。」


と肩すかしな返事がきたので、今回のこともさほど気にかけずに
連絡もしなかった私。


しかし予想に反して、今回はなかなか大変だったらしい。


彼女によれば、暴動が激しくなるにつれ、外国人が多く住む彼女の
マンションからどんどん人がいなくなり、最後はメイドまで逃げ出す始末。


彼女のマンションには大使館や国際組織で働く人たちが多く、
アメリカ人を筆頭に、白人の人たちが真っ先に本国へ帰っていったらしい。
この辺の動きは、「ホテルルワンダ」を彷彿させるものがあった。


当の親友ファミリーは、マンションから逃げ出したなんと最後の
一家族になったとか!そうなったのも、旦那の勤務先のユニセフからは
「自宅待機」というお達しがでて、旦那はんがまじめにもそれに
従ってしまったから。。


ん?「まじめにも」というのは少し、語弊があるな。。
彼女曰く、「自宅待機」ということは、ホテルに一時避難したところで
滞在費を国連が補償してくれるわけじゃないので、旦那がケチって
動かんかった、、とのこと(苦笑)


ちなみに、世界銀行やIMFなど他の国連スタッフにたいしては
真っ先に避難勧告がでた中、ユニセフ職員は最後の最後まで
自宅待機扱いにされ「これってポリティカルパワーによる扱いの
違い(差別)?」とばかりに悲しい思いをしたらしい。
加えて、暴動が激化した際、日本大使館からは逐一報告の電話が
入るものの、ユニセフオフィスは一時間近く経ってから連絡が入る
ことが多かったらしい。
緊急事態では、この1時間が命とりになることもありえる。
こうした動きから、いかに現地のユニセフ事務所がこうした緊急事態
に対する対応能力が低く、不慣れであるかを痛感した、と言っていた。
当事者ならではのコメントだね〜としみじみ。


しみじみする間もなく、親友トークはつづく。


周りは暴動モードに包まれる、彼女の体にじんましんが。
薬を飲んで様子見するも、症状が一向によくならないので、
夜になって旦那はんが「病院に連れていったるわ」と12歳に
なる娘を一人、留守番させて二人で車に乗り込んだ。


道に出たとたん、ストリートには溢れんばかりの赤シャツ軍団。
これまでも赤シャツピーポーは溢れかえっていたのだが、
このときは戦車があるわ、高く積まれたタイヤに火がつけられ、
黒い煙がもくもく状態。緊張感が高まる光景を前に、
さすがの二人もびびったらしい。


(イメージ画像)

殺気立つストリートをやっとの思いで通り抜けて、病院に到着。
するやいなや、たった今、通ってきた道が封鎖されました〜
との構内アナウンス。他の帰宅ルートはそれ以前にすっかり封鎖
されていたので、「これでは家に帰れない!しかも、娘おるし!」
と相当焦る二人。


とりあえず、診察してもらった後、もときた道にもどると、既に
バリケードが張り巡らされている。


横に立っていた赤シャツの一人に、娘が家にいるので通させて
ほしい、と事情を伝えると、「ヘッドライトを消して進むなら
いいよ」と通過の許可がおりる。


言われたままにヘッドライトをおとして進む親友カー。
しかし、不運なことに彼女の旦那はかなりの近視。
夜はさらに視界が悪くなり、その上ライトなしの運転はどう
考えても無謀かも、、という親友の不安は的中!
思いっきり電柱にヒット!!


「もう、あぶないわ。私に運転させて!」と懇願する親友。
しかし、この言葉が(よりによってこんなときに)
男のプライドを傷つけさせたのか、「ええわ!」と
ハンドルを渡さない夫。で、何を思ったか、ヘッドライトを
ぱしーーーっとつけて、ドライブ続行。


親友「なにしとんねん!つけたらあかんやん!」


夫「大丈夫や。とにかく帰るで!」


と、(よりによってこんなときに - part2)夫婦ゲンカ勃発!


これを聞いてる私は、笑うに笑えない状況。
そして、周りが暴動であれ、戦争であれ、人はケンカも
すれば、プライドも気にするわ、普段の日常は繰り広げられる
わけね、、、としみじみ - part 2。


しみじみしてる私をよそに、親友トークはさらにつづく。


ひとまず、この夜は無事に帰宅。


そうこうする中、娘の学校もとうとう休校。
旦那の仕事はそれでも営業中なので、彼は通勤。
親友は子供と二人で自宅待機。
とある昼間、低空飛行するヘリコプターの爆音に包まれ、
近くの公園で銃撃戦が開始。すぐそこから聞こえるドンパチの
音にはさすがの親友も怖くなり、仕事先にいる夫に電話。


親友:「もうだめ。私たち避難するわ。」


夫:「まて。俺の荷物は俺がまとめるから、待って。
   いますぐ帰るから。」


親友:「もう無理や。いますぐでたい!」


夫:「まてまて。とにかくいま帰るから!」


と意見を通す(男らしい?)親友ハズ。


しょうがないので、自分たちの荷物をまとめて、夫の帰りを
待つ親友。しかし、1時間たっても、2時間たっても現れない夫。
どうやら暴動による封鎖や混乱で、車がすすまないもよう。
死ぬ思いで数時間を過ごした後、ようやく到着し、
荷物をまとめたスーツケースと共にホテルへ移動。


このドンパチの記事を発見


その後は紛争エリアから離れた、いたってピースなホテルに
2週間過ごし、最終的にはUNからも補償が提供され
事なきを得た。




親友曰く、


「あのときはほんとストレスフルやったわ。
 毎日何回も知り合いから”まだ逃げないの?
 私たちはもう避難したわよ”とか、大使館からは
 ”早く避難してください”とか電話かかってくるし。
 それに、銃撃戦やヘリコプターの音が日常的に
 聞こえて、どうなるのか不安になる。
 旦那は昼間、仕事先やからこの状況がわからず、
 毎日、私がどんな思いでご飯の食材を買いにいってる
 のか理解してくれへん。それに、子供の学校のこともあるし。。
 ほんま、すごいストレスやったで。」




と当時のことを振り返る。


(注記)
多分に彼女サイドのトークなので、旦那はんは旦那はんなりの
考えがあったかもしれないことはご留意ください〜




この親友トークから、戦争・紛争下で人間の心理がどうなるのか
たくさんの示唆を得たように思う。




直接、銃口を当てられるようなことがなくても、
武器の音や放火された建物など、非日常的な「音」や「光景」が
いかに人を不安にさせ、ストレスになるのか。


また、どう行動すべきなのか、いろんな情報によって
混乱させられることも、大きな不安につながるのだ。


そして、近所で暴動が起きようが、戦車が走り回ろうが、
住んでる人は仕事に行く、子供は学校で勉強する、
母親は家族の食事を作るなど、日常は日々つづけざるを
えない


一時は大変な目にあった親友ファミリーも、いまは平時の
状況に戻り、夏休みを楽しんでいる。


しかし、パレスチナやアフガンなど、争いがおわりなく続き、
終わりのないストレスにさらされている人たちがいることを
思い起こされた。


直接的には何もできなくても、彼らの不安やストレスフルな
日常に思いを馳せ、個人としてなにができるのかを考えはじめる
ことから、何かが始まるのかもな、、、と東京の空の下で、
一人考える。


同時に、新聞やニュースでも、この暴動のことは見聞きして
いたけれど、こうして身近な人から話をきくことのほうが、
よっぽどその出来事を身近に感じ、それに対する自分の反応
もずっと深くなってくるものだなぁ、、と痛感。


そういう意味で、やっぱり体験談はいちばん!なのだ。

2010年6月25日金曜日

ライジング・サン


日本、やりましたー!!!
ほんっと、美しいフリーキックでした!
泣けた・・・

そして、本田選手の力強い一言にドキドキ・・・


「不可能はないこと証明する」

ほんとに実現してくれそうな気がしてきました!

パラグアイ戦、楽しみです!


※・・・とか書きながら、私実は試合を寝過ごしました。(汗)
次は絶対見ます!!

2010年6月22日火曜日

秒速634本


これ、何の数字だかわかりますか?
日本で消費されているペットボトルの数だそうです。

環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した、ケニヤのワンガリ・マータイ女史。

「もったいない」

彼女は日本でこの言葉に出会います。
その後、他の言語で類義語を探したけれど、自然や物に対する敬意や愛を広く深く表す言葉は他に見つからず、そのままローマ字表記にして世界に広めていくことにしたそうです。

「MOTTAINAI」

2007年頃から、MOTTAINAIプロジェクトとして、商品の販売やイベント開催を通して環境
問題を考えるきっかけ作りが行われてきました。

1度しか使われないペットボトルから、何度も使えるマイボトルへ。

みんなの「マイボトル宣言」始まっています!

2010年6月21日月曜日

原油流出事故

今、私が一番気になっていることの1つが、メキシコ湾の原油流出事故です。

1日当たりの原油流出量が推定5600~9500キロ、それが4月20日から毎日海に流れ続けているのだそうです。
すさまじい量です・・・

NASAの航空写真



メキシコ湾に面する、アメリカ ルイジアナ州のビーチは既にこんな事態になっています。
(撮影されたのは5月です)




原油まみれのペリカンの姿が映像で流れる度、胸がしめつけられるような気持ちになるのは恐らく私だけではないと思います。

野生の動物や野鳥、魚たちは、何も文句も言えずにこの現実をただ受け入れなければなりません。
私たち人間の起こした問題で、自然界の弱者たちが犠牲になっています。
別に、人間が一番偉いわけじゃないのに・・・




原油の流出を止めるためには、海底の流出口にセメントを注いでふたをするしかないらしいのですが、これが実現するのは8月頃になるとのこと。
それまでの間、ずっと海には原油が流れ続けるということです。

海洋生物などの生態系や水産資源に深刻なダメージをもたらすことは確実です。
一度壊れてしまったものはなかなか取り戻すことは出来ません。

地球からの警告?

この状況をただ見ていることしか出来ないのが、本当に切ない…

BP社のCEOが週末ヨットレース見に行ってたって報道されていたけど、なんだかやるせない気持ちになった。

Web製作


カフェでunizone Webページの打ち合わせ。
制作は友人、のもちゃんが担当してくれることに。

彼女とはニューヨークを旅していた時に出会った。
本人曰く「すごくマイナス思考な人間」らしいのだが、単身バックパッカーでどこへでも旅に出てしまう彼女の自己評価は、多分間違ってるとずっと思っている。

いずれフリーでWebデザインの仕事をしていきたい彼女にとって、このunizoneのサイト制作が、今後何かしら彼女のキャリアにプラスになってくれたらいいなあと思うし、そうなれるように私たちも頑張っていかなきゃなーと思う。

2010年6月19日土曜日

6月20日 世界難民DAY

サッカー、オランダ戦惜しかったですね!
渋谷の街にはサポーターが溢れていましたよー。
次のデンマーク戦、またみんなで応援しましょう!

さて、今日はこちらをご紹介。

「世界難民DAY」とは・・・

2000年12月4日、 国連総会で毎年6月20日を 「世界難民の日 (World Refugee Day) 」
とする旨が決議されました。

この日は、もともとOAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念する「アフリカ難民の日」 (Africa Refugee Day)でしたが、改めて難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCRをはじめとする国連機関やNGOによる活動に理解と支援を深める日にするため、
制定されました。

第1回目の「世界難民DAY」 (2001年6月20日) は1951年 難民の地位に関する条約成立の50周年でもありました。

UNHCRの統計報告によると、2009年末時点で世界では4300万人以上の人々が迫害や紛争から逃れるために避難生活を余儀なくされているそうです。

アフガニスタン、ソマリアやコンゴ民主共和国における紛争の継続や、南スーダンやイラクに
おける治安の悪化により、多くの難民・避難民は故郷に帰ることができない状態です。



2010年のテーマは、「HOME」

UNHCR親善大使、アンジェリーナジョリーのメッセージです。



わたしたちには帰る家があります。
でもそれは当たり前なことじゃなくて、とても幸せなことなんだよね。
家を追われながらも希望を抱き続けている難民や避難民の人たちに、わたしたちは何が出来るでしょうか・・・

WRD 2010 Live
世界各地でのイベントをライブ放送
http://www.wrdlive.org/

世界難民DAY イベント情報(日本)
http://www.japanforunhcr.org/event/event_wrd10.html


2010年6月18日金曜日

環境にやさしいパンダボール


FIFAワールドカップ、始まりましたね。
先日のカメルーン戦での劇的な勝利で、応援ムードも高まってきてる感じ!
いよいよ明日はオランダ戦ですよ~。
Good luck, サムライブルー!

そんな華やかな舞台裏で、実は悲しい事実があることを今日は紹介したいと思います。

FIFAの公式ボールについてはよくわかりませんが、市場に出回っているサッカーボールの多くは、実はインドやパキスタンに住む子供たちの安い労働力をによって造られているのです。
貧しい子供労働者達は皆、サッカーなんてしたことない子ばかり。
サッカーボールの硬くて厚い生地を縫い合わせていくのは小さな子供には大変な作業ですが、彼らは1個当たり30円ほどの報酬しかもらえないそうです。

パンダロゴの付いたこのボールは、フェアトレード商品を紹介するNPO「わかちあいプロジェクトの協力により、フェアトレードの基準に沿ってパキスタンで作られたものだそうです。
ボール1個につき約100円の奨励金がパキスタンの生産者に支払われ、現地で主に医療活動に使われるとのことです。

そして、このボールにパンダロゴが使われているもう1つの理由は、ボールの内側に使われているゴム素材がFSCの認証を得ていることです。
ゴムはスリランカの適切に管理された持続可能な森で採取された、森の破壊につながる心配のないものなのです。

※FSC・・・Forest Stewardship Council、森林管理協議会
木材を生産する森林、そしてその森林から切り出された木材を使って生産・加工を行なっているかどうかを認証する国際機関


WWFはこう呼びかけています。

サッカーというすばらしいスポーツを通して、パンダボールで人々の幸せと地球環境のことを考えよう。
これがWWFの提案する新しいサッカーの楽しみ方です。

サッカーボールの背景にある問題を知ってもらい、さらに少しでも問題の解決を進めるため、
このフェアトレード&FSC認証ボールを販売しています。

パンダロゴサッカーボール


2010年6月15日火曜日

徳島 trip!


先週末、ふらっと旅に出ました。
行き先は四国。
四国には行ったことがなく、右も左もわからない状態のため、ガイドブックを買ってまずは情報収集。

どちらかと言うと海より山好きの私の目に留まったのは、徳島。
写真を見るとなんだかディープな山奥によさげな場所が色々あるらしい。。。

ということで、徳島へlet's go!

明石海峡大橋を渡り、淡路島を経由して、途中サービスエリアで休憩取ったりしながらも、意外とあっという間に四国上陸。

途中、四国八十八ヵ所巡礼の1番目のお寺に立ち寄ったりしながら、ひたすら西に車を走らせ。。。



着いたのは、祖谷(いや)というエリア。
吉野川の上流にある場所です。

深い山々に囲まれ、V字谷が続く渓谷が絶景スポット。
新緑が本当に美しく、鳥の声しか聞こえないような場所でしばし癒されました~。




「小便小僧」や「かずら橋」、「大歩危小歩危」など見て回り、更に奥地へ進むと、そこには「モノレール」の文字が。
面白そうなので行ってみると、林の中にヴィヴィッドなカラーをした虫みたいな?シュールな乗り物があり。



どうやらこいつが、モノレールらしい。
70分かけて山を散策出来るとのことなので、乗ってみました。




見た目だいぶ馬力のなさそうな乗り物なんだけど、遅いながらもどんどん山の奥へ、山の上に登っていきます。
ところどころ、傾斜がすごい!(最高傾斜度40度)

そして気づけば、標高は1380メートル。
一切、歩くことなく、登頂しました。(笑)

途中、見たこともないような色をした鳥(雷鳥?よくわからず)や、鹿の親子を見かけたり、まさに大自然の中のモノレール。
線路の無機質な金属物と、自然の景色との対比がこれまた不思議な感じでした。

(後で知ったのですが、世界最長だったらしい。。。奥祖谷観光周遊モノレール


夜は温泉に入り、のんびりチルアウトな週末でした。
時間があれば直島の地中美術館行きたかったな~。

瀬戸内エリアは、7月からアートフェスやるよねぇ。
これもまたチェキラしたいんだな~~。

Setouchi International Art Festival 2010




2010年6月10日木曜日

まもなく終了!世界を変えるデザイン展


みなさん世界を変えるデザイン展には行きましたか?
発展途上国に住む人びとが直面する、さまざまな課題を解決してきた“デザイン”を紹介するこの展覧会。
終了まで残りわずかです!(~6月13日)。


場所は東京ミッドタウン・デザインハブとアクシスギャラリー。
私は今日すべり込んできましたー。

私たちが日々目にしている「デザイン」。
洋服や日用雑貨、車、お菓子のパッケージなど本当にたくさんのデザインで世の中はあふれてます。
しかし、そのデザインは実は世界の人口のたった10%を対象にしたものだという事実をご存知ですか?

このイベントでは普段いつも見て触れているデザインとはまったく違う世界のプロダクトが並んでいます。
それは、残りの90%の人たちを対象にした、「生きのびるため」のデザイン。


東京ミッドタウン・デザインハブでは、まず最初に認識してほしい各国の問題を映像やパネルなどで紹介し、

それに対してどんな製品が開発されたを提示。



入口に展示されていた、「世界の課題」


…世界で9億人の人々が  
安全な飲み水を利用できていない。

…世界で10億人が
飢餓状態にある。

…1年間で約970万人の5歳未満児が
命を落としている。


…世界で10億人以上の人々が  

十分な交通手段を利用できていない。


…世界で7,200万人の子供が  

学校に通えていない。


…世界で8億人の人々が、  

スラムでの生活を余儀なくされている。



アクシスギャラリーの会場では、ジャイプールフットや100ドルPCなどを含む約20の作品をピックアップし、

1つ1つのプロジェクトがどのようにして展開されたかという部分を掘り下げて説明。



個人的に共感したもののうちの1つがこちら。


「Q Drum」



水を入れたバケツを頭の上に乗せて運んでいる人が、首を痛めるという問題を解決したアイディアの作品。
子供の力でも簡単に転がすことができて、最大 50リットルの水を運ぶことができるらしいです。

他にも興味深いプロダクトが色々あったよー。
既に先に見に行ったunizoneメンバーriyaっちが、本がすごく良かったと言ってたので、私も購入~。


思いやお金ではなく、アイディアで人を救う。


お時間がある方は是非ー!

2010年6月9日水曜日

イルカ漁の映画

この間日本で公開された、ザ・コーブ。
http://thecove-2010.com/

アカデミー賞取っちゃったけど、賛成派もいれば、反対派もいて、
議論することに意味があるか。このサイトの賛否両論の部分がいいよ。

でも、実際に漁をやってる人とか、町とか、
盗撮まがいに撮る必要がホントにあったのかな。。
それが疑問。映像って怖い。

2丁目 deep bian night #2







2件目のお店でドリンク片手に、みなおしゃべりしながら
(私はビアンバー観察しながら・笑)もうちょっと踊れるところか、
ゆっくりできるところに移動しよう、と民族移動モードで路上にでる。
ストリートは相変わらず祭り状態で、おしゃれしたゲイメンズたちで
溢れかえっていた。
どこの店も人がぱんぱんで溢れかえっていて、ちょっとしたフェス気分が漂っている。
道行くファンキーな人々をみながら、ふと気づく。
六本木よりずっと国際色が豊かで、ぜんぜん雰囲気いいじゃないの〜!!
ほろ酔い気分で男も女も国籍も入り乱れた人たちをみていたら、
なんだか幸せな気分 MAX。ダイバーシティーって最高じゃん〜♥←単純な人

それから路上でうだうだ、次の店を探して歩いても、目指すお店が満杯だったり、
閉店してたり、なかなか次の場所が決まらない。時刻はまだ3時過ぎ。
始発にはまだちょっとある中途半端な時間帯。
ダイバーシティーメンバーの面々もちょっと疲れた様子。
私も一日中、重い荷物をもち歩いて、人だかりのなか立ち往生したとたん、
疲労感がぐっと増してきた。目の前のカフェが空いてたので、
「この店に入らない?」と提案すると、連れのメンバーから、
先のエントリーに書いたとおり、メンズオンリーだと思うので入れないと思う、
との答え。それでも立っているのがつらくなってきたので、
ゲイオンリーと思われる店先に置かれたベンチに座りこんだ。
友達も加わり、二人並んでファンキータウンストリートをぼ~と眺めていると、
店員さんがメニューを持って来た。
聞けば、メンズガールズ誰でもウェルカムよ~♥とナイスな返事!
聞いてみるもんじゃないのぉ~!とばかりに、皆、店に入る。

ほとんどのメンバーがお茶やコーヒーをオーダーする中、気合いのウォッカを飲む
ニッカポッカ星人は「あんたら、そんなの飲みやがってなめてんの~!?」と
ぶつくさブーイング(笑)

私の隣にはトリリンガルなコリアンギャルが座っていたので、ふと疑問に
思っていたことを聞いてみる。

私:ビアンになったのって、いつ気づいたの?
コリアンギャル(以下、コ):そりゃ、生まれたときからよ~
私:えー、そうなんだ。
コ:私は物心ついたときから、女の子大好きで、もう男なんかいらないって感じ。
だから、親にお願いして、女子中や女子高に入れてもらったの。

彼女とは最初のバーでも隣合わせになり、その席で「なんで日本にきたの?」と
尋ねたら、ライフストーリーを聞かせてくれた。
フェミニンで明るく楽しげに周りとはしゃぐ彼女だったが、
ふたを開けてみれば、なかなかの苦労人。日本にきたきっかけは、
「親に結婚しろ」ってうるさくいわれたから、一人で日本に逃げてきたらしい。
一年くらい日本語勉強したけど、言葉はわからないし、友達もいないし、
生活のためにバイトも掛け持ちして、3年間は泣き続けて暮らしていたと言う。
そんな中、ファッション系の学校に進み、いまではバッグデザインの仕事をしている。
「あの時期があったからこそ、いまはとっても楽しい!」と
前向きな彼女の笑顔はまさしく SHINING SMILE! 

で、本題の会話に戻ると、

コ:私にとっては女の子が好きっていうのは当たり前のこと。
だから、”これからずっと女の子を好きでいる”って前から決めてるの。
別に隠すことでもないし。さすがに親には言ってないけど、話が通じそうな
いとこや親族には伝えてある。”私のライフスタイルはこう”ってね。
でも、いとこは”ライフスタイルは選ぶもので、あなたの場合は選ぶというより、
生まれたときからそうだったんだから、ライフスタイルじゃないんじゃない?”って。
でも、私はそれでもライフスタイルだと思う。私がいままで見てきた中で、
女の子が好きな子たちのライフスタイルは3つあって、ひとつは私みたいに、
ありのままの自分を通して、ずっと女の子を好きでいくこと。
ふたつめは、ほんとうの自分を隠して、普通に男と結婚して子供を産む人。
みっつめは、一時的に女の子が好きでも、大人になって変わる人。
学生時代に仲良かった子たちは私以外、ほとんど今では子供を生んでるし。
だから、私にとって「女の子をずっと好きでいる」っていうことは、自分で
選んだことだし、決めたことなの。
私:へぇ~~、そうなんだ。なんだか興味深いなぁ。。
コ:格好だってそう。私はどちらかというと性格的に男っぽい部分が強いから、
前はボーイッシュな格好してたんだよね。
私:え~~!全然、想像できない!(・・くらい、彼女は男の子たちにたっぷり
もてそうなフェミニンファッションでとってもキュート)
今すごいフェミニンじゃん。
コ:よく「女の子らしいよねー」って言われるけど、「全然、違うよ」って思う。
ボーイッシュな格好をしてたのは、そのほうが相手にわかりやすいし、相手も
見つかりやすいから。でも、相手は本当の自分じゃなくて、ふとそういう格好を
している自分に惹かれてきてるのかな、って思い始めたら、なんとなくそれが
嫌になってきちゃってやめちゃった。それに、フェミニンな格好って、
お化粧したり、ヘアスタイルでいろいろできたり、
いろんなことがたくさん楽しめておもしろい~って感じなんだよね。
私:ふーん、、なんかそれ、コスプレっぽい感覚だねぇ。。
そういう感覚でおしゃれを楽しんだことないから、不思議だなぁ。。
コ:今はこれが楽しいからやってる感じ。それに、あの子たち
(外にいるゲイたちを指差して)みたいな格好しても、私の(女の)体形じゃ
格好わるいじゃん?
私:へぇぇぇ~、じゃぁ、そのときどきの気分で楽しむ感じとか?
どっちもあって、どっちだけでもないって感じなのかな。
コ:そうだねー。
私:(未知の感覚に触れて深く感銘を受ける)なるほどぉ。



そんなビアンルーツを辿ったり、ファッションのことから、話題はいかに
一般的なセクシャリティーが固定概念に縛られているか、みたいな内容に及んだ。

コ:私にとっては生まれたときから、女の子を好きなことが”当たり前”なことで、
それがたまたま世間的には”当たり前”じゃなかった。
なのに、学校の性教育では、”男女の性はこういうもの”といわゆるストレート
(HETERO-SEXUAL)のことしか教えてくれない。もしかしたら、誰でも
同性異性関わらず愛せる可能性があるのに、そのことしか教えないのに疑問を感じる。
私にとっての”当たり前”なことは、それとは違うし。
私:確かに。私も一度、仲良くしてた女友達に恋心のようなものを
抱いたことがあったな~。奇遇にも後に彼女がレズだったことを知って、
不思議な感じだったけど、どこか納得したようなことがあったんだよねー。
コ:それも、もしかしたら恋愛に発展した可能性があったかもよ。
私:そうねー。私も固定概念に縛られてるのかもね。相手が人間的に魅力的だったら、
男も女も関係ないもんね。
コ:私はあと30年くらいしたら、誰に対しても「彼女、それとも彼氏いる?」って
ふつうに両方きける時代になってると思うな。
私:そうなってたらいいねー。(本気で同意)

テーブルを見渡せば、他のメンバーはMTFの話で盛り上がっている。
「MTFって何?」という不案内な私に、今度は大和魂?をもつアメリカンJが
レクチャーを買って出てくれた。

J:”MTF”は " MAN TO FEMALE"  の略で、トランスセクシャルのことだよ。
元々は男性だけど、女性になった人ね。
私:へー、じゃ逆もあるの?
J:そうそう、その場合、"FTM" (FEMALE TO MALE) ね。
私:(そういえば、SHE - MALE ってのもあったなぁ。。と記憶をたどる)
J:トランスセクシュアルにもいろんな種類があって、内的性別 (GENDER IDENTITY)と
性的指向性 (SEXUAL PREFERENCE) が異なる場合っていうのもあるから、
けっこう複雑なんだよね。
私:何それ?具体的にどういうこと?
J:例えば、体は男に生まれたんだけど、中身は女の場合は、
ジェンダーアイデンティティ的に女だよね。
それでも、女の子が好きっていう場合もある (これはSEXUAL PREFERENCE)。
だから、男なんだけど、女の格好をしながら、女の子が好きってケースもあるのよ。
私:その場合の相手って、男の格好をした女の子を求めるの?それともふつーの女の子?
(ってこの期に及んで”ふつー”ってのもなんだが、ストレートとかレズとか、
ジェンダーアイデンティティーが肉体とマッチしていることを私的には指したつもり。
なんだかややこしいぞ!苦笑)
J:ん~、私もそんなに詳しくないけど、トランス同士のバーとかもあるから、
そういうところで相手を探すんじゃないかしら。。
私:うーむ、思ったよりも人間て複雑な生き物なんだなぁ。。
いやー、いい勉強になった!ありがとう!




みんなお酒で楽しくやってる中、私の素朴な疑問に丁寧に答えてくれた二人には
心から感謝。
同時に、話し始めると想像以上に深い考えがあり、また30+生きてきて知っていた
つもりでいたLGBT(レズ、ゲイ、バイ、トランス)の世界はずっと深く複雑に
広がっていた。そのことに今更ながらに気づき、目が覚める思い。



一連の会話から、生まれながらにして、彼女たちは
いわゆる世間的な”女的”あるいは”男的”という境界線を軽々と
飛び越えているんだな〜と痛感。彼女たちが語る”当たり前”な感覚は、
それまで触れたことのない広がりを持っていた。

人生半ばまできたけど、世の中知らないことってたくさんあるんだな~。
久しぶりにいい刺激をもらった一夜だった。

みんな和気あいあいモードで、自分自身を120%さらけだしながら、
心から楽しんでいるモーメントを共有できたのは、
とても恵まれた体験だった。
このチャンスを与えてくれた友に感謝。
もちろん、味の濃いダイバーシティーグループの面々にも(笑)。

ってことで、
HOPE TO SEE YOU ALL SOON IN ディープタウン 2丁目!