2010年6月26日土曜日

やっぱり、体験談がいちばん!(タイ編)



どんな体験談がって?


なんでも!


・・と書くと、ずいぶんと抽象的な答えになってしまうが、つい最近、
立て続けにいろんな体験談を耳にして、いろいろ考えさせられた。


事の始まりは20年近い付き合いになる親友との長電話。
彼女は現在、ユニセフに勤める旦那の関係でタイの首都バンコクに4年
ちかく住んでいる。久しぶりに日本に帰国してきたので、実家のある
姫路から電話をかけてきてくれた。


数ヶ月ぶりの電話で、いつもどおりの近況アップデート。
その中で、今年の4〜5月にわたって日本でも繰り返し報道されていた
タイの暴動の話題になった。


彼女が住んでいるところは、日本でいえば虎ノ門のようなところ。
官公庁や政府関係者、大使館が多いエリアなのだ。
そのため、こうした暴動やデモの中心地になることは、彼女の話から
以前より知っていた。
数年前に厳戒態勢がしかれ、エアポートも封鎖されたときは、さすがに
心配になって電話してみるも、


「なんか赤シャツや黄色シャツの人がいっぱいおるよ。
 でも、みんな道ばたにイスやテレビ置いたりして、
 意外とのんびりしとるわ。うちらも全然、平気、平気。」


と肩すかしな返事がきたので、今回のこともさほど気にかけずに
連絡もしなかった私。


しかし予想に反して、今回はなかなか大変だったらしい。


彼女によれば、暴動が激しくなるにつれ、外国人が多く住む彼女の
マンションからどんどん人がいなくなり、最後はメイドまで逃げ出す始末。


彼女のマンションには大使館や国際組織で働く人たちが多く、
アメリカ人を筆頭に、白人の人たちが真っ先に本国へ帰っていったらしい。
この辺の動きは、「ホテルルワンダ」を彷彿させるものがあった。


当の親友ファミリーは、マンションから逃げ出したなんと最後の
一家族になったとか!そうなったのも、旦那の勤務先のユニセフからは
「自宅待機」というお達しがでて、旦那はんがまじめにもそれに
従ってしまったから。。


ん?「まじめにも」というのは少し、語弊があるな。。
彼女曰く、「自宅待機」ということは、ホテルに一時避難したところで
滞在費を国連が補償してくれるわけじゃないので、旦那がケチって
動かんかった、、とのこと(苦笑)


ちなみに、世界銀行やIMFなど他の国連スタッフにたいしては
真っ先に避難勧告がでた中、ユニセフ職員は最後の最後まで
自宅待機扱いにされ「これってポリティカルパワーによる扱いの
違い(差別)?」とばかりに悲しい思いをしたらしい。
加えて、暴動が激化した際、日本大使館からは逐一報告の電話が
入るものの、ユニセフオフィスは一時間近く経ってから連絡が入る
ことが多かったらしい。
緊急事態では、この1時間が命とりになることもありえる。
こうした動きから、いかに現地のユニセフ事務所がこうした緊急事態
に対する対応能力が低く、不慣れであるかを痛感した、と言っていた。
当事者ならではのコメントだね〜としみじみ。


しみじみする間もなく、親友トークはつづく。


周りは暴動モードに包まれる、彼女の体にじんましんが。
薬を飲んで様子見するも、症状が一向によくならないので、
夜になって旦那はんが「病院に連れていったるわ」と12歳に
なる娘を一人、留守番させて二人で車に乗り込んだ。


道に出たとたん、ストリートには溢れんばかりの赤シャツ軍団。
これまでも赤シャツピーポーは溢れかえっていたのだが、
このときは戦車があるわ、高く積まれたタイヤに火がつけられ、
黒い煙がもくもく状態。緊張感が高まる光景を前に、
さすがの二人もびびったらしい。


(イメージ画像)

殺気立つストリートをやっとの思いで通り抜けて、病院に到着。
するやいなや、たった今、通ってきた道が封鎖されました〜
との構内アナウンス。他の帰宅ルートはそれ以前にすっかり封鎖
されていたので、「これでは家に帰れない!しかも、娘おるし!」
と相当焦る二人。


とりあえず、診察してもらった後、もときた道にもどると、既に
バリケードが張り巡らされている。


横に立っていた赤シャツの一人に、娘が家にいるので通させて
ほしい、と事情を伝えると、「ヘッドライトを消して進むなら
いいよ」と通過の許可がおりる。


言われたままにヘッドライトをおとして進む親友カー。
しかし、不運なことに彼女の旦那はかなりの近視。
夜はさらに視界が悪くなり、その上ライトなしの運転はどう
考えても無謀かも、、という親友の不安は的中!
思いっきり電柱にヒット!!


「もう、あぶないわ。私に運転させて!」と懇願する親友。
しかし、この言葉が(よりによってこんなときに)
男のプライドを傷つけさせたのか、「ええわ!」と
ハンドルを渡さない夫。で、何を思ったか、ヘッドライトを
ぱしーーーっとつけて、ドライブ続行。


親友「なにしとんねん!つけたらあかんやん!」


夫「大丈夫や。とにかく帰るで!」


と、(よりによってこんなときに - part2)夫婦ゲンカ勃発!


これを聞いてる私は、笑うに笑えない状況。
そして、周りが暴動であれ、戦争であれ、人はケンカも
すれば、プライドも気にするわ、普段の日常は繰り広げられる
わけね、、、としみじみ - part 2。


しみじみしてる私をよそに、親友トークはさらにつづく。


ひとまず、この夜は無事に帰宅。


そうこうする中、娘の学校もとうとう休校。
旦那の仕事はそれでも営業中なので、彼は通勤。
親友は子供と二人で自宅待機。
とある昼間、低空飛行するヘリコプターの爆音に包まれ、
近くの公園で銃撃戦が開始。すぐそこから聞こえるドンパチの
音にはさすがの親友も怖くなり、仕事先にいる夫に電話。


親友:「もうだめ。私たち避難するわ。」


夫:「まて。俺の荷物は俺がまとめるから、待って。
   いますぐ帰るから。」


親友:「もう無理や。いますぐでたい!」


夫:「まてまて。とにかくいま帰るから!」


と意見を通す(男らしい?)親友ハズ。


しょうがないので、自分たちの荷物をまとめて、夫の帰りを
待つ親友。しかし、1時間たっても、2時間たっても現れない夫。
どうやら暴動による封鎖や混乱で、車がすすまないもよう。
死ぬ思いで数時間を過ごした後、ようやく到着し、
荷物をまとめたスーツケースと共にホテルへ移動。


このドンパチの記事を発見


その後は紛争エリアから離れた、いたってピースなホテルに
2週間過ごし、最終的にはUNからも補償が提供され
事なきを得た。




親友曰く、


「あのときはほんとストレスフルやったわ。
 毎日何回も知り合いから”まだ逃げないの?
 私たちはもう避難したわよ”とか、大使館からは
 ”早く避難してください”とか電話かかってくるし。
 それに、銃撃戦やヘリコプターの音が日常的に
 聞こえて、どうなるのか不安になる。
 旦那は昼間、仕事先やからこの状況がわからず、
 毎日、私がどんな思いでご飯の食材を買いにいってる
 のか理解してくれへん。それに、子供の学校のこともあるし。。
 ほんま、すごいストレスやったで。」




と当時のことを振り返る。


(注記)
多分に彼女サイドのトークなので、旦那はんは旦那はんなりの
考えがあったかもしれないことはご留意ください〜




この親友トークから、戦争・紛争下で人間の心理がどうなるのか
たくさんの示唆を得たように思う。




直接、銃口を当てられるようなことがなくても、
武器の音や放火された建物など、非日常的な「音」や「光景」が
いかに人を不安にさせ、ストレスになるのか。


また、どう行動すべきなのか、いろんな情報によって
混乱させられることも、大きな不安につながるのだ。


そして、近所で暴動が起きようが、戦車が走り回ろうが、
住んでる人は仕事に行く、子供は学校で勉強する、
母親は家族の食事を作るなど、日常は日々つづけざるを
えない


一時は大変な目にあった親友ファミリーも、いまは平時の
状況に戻り、夏休みを楽しんでいる。


しかし、パレスチナやアフガンなど、争いがおわりなく続き、
終わりのないストレスにさらされている人たちがいることを
思い起こされた。


直接的には何もできなくても、彼らの不安やストレスフルな
日常に思いを馳せ、個人としてなにができるのかを考えはじめる
ことから、何かが始まるのかもな、、、と東京の空の下で、
一人考える。


同時に、新聞やニュースでも、この暴動のことは見聞きして
いたけれど、こうして身近な人から話をきくことのほうが、
よっぽどその出来事を身近に感じ、それに対する自分の反応
もずっと深くなってくるものだなぁ、、と痛感。


そういう意味で、やっぱり体験談はいちばん!なのだ。

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